2015年06月27日

ヘルマンヘッセ シッダルータと春の嵐

最近、ヘルマンヘッセの、

シッダルータ
春の嵐

を読みました。
ヘッセはインド系の哲学、仏教など東洋の思想に深い造形が会った事を知り、
どちらかというとそれを知りたくてヘッセを読んだのですが、

ヘッセって、たまに小中学生の読書感想文の推薦書にもなっているけれど、
僕は10代でこれらを読んでも、小難しくてよくわからなかったと思う。


そこそこ生きてきた後なら、そして
そこそこ生きてこないと、わからない、感覚やら感情やらが
見事に描写されていて、言葉を失います。

10代にしてこの深淵まで感じとる子がいたら、
それは失礼ながら、若さ特有の快活さがあまりない、

心の病に若くして長期間、悩まされているかもしれない、というくらい、の
急速な内面への傾倒を、僕なら逆に心配していまうかも。


■西洋圏の人が東洋の思想を取り入れて語るとき面白いのは、そこに
法則やマニュアルをみつけ、思想の支配下において、整然と示そうとしてくれること。

頭で理論的に理解する上で、西洋の手法はとっても役立つわけですが、
その枠に東洋の思想がしっかり当てはまらないまでも、

理解していくことにはとても役立つので、
逆輸入で東洋思想を学ぶのには、ヘッセを読むのはとてもよいのかもしれません。


時代が変わっても、
人の悩みも、もがきも、苦しみも、

それでも人生に光を見いだそうと、人はしてきたこと、
それを打ち砕くような不条理が起こることがあること、

人が生きていく事は、結局かわらないんだ、と、感じること、
自分の悩みだって、人の歴史のそれと何もかわらないんだ、ときづくこと

それが、逆に今生きる辛さに寄り添ってくれるような、そんな気がしました。


特に高橋健二さんが訳している新潮社版のあとがきには、
1931年に、実際に老年のヘッセを訪れてたストーリーがあり、
なんだかすごいリアルです。



人生は、基本、苦しみです。と気づき説いたブッタ
それを小説に組み込んで表現しているヘッセ



目の前の現実ばかりみていると視野が狭くなって、

電車でぶつかられてムカつくとか、
雨ふりで気持ちが晴れないとか、
そんな浅い部分で日々がすぎてしまうので、


底に沈んだ、カルピスをまぜて均一にするような作業が必要で、
それが文学とか小説とかで、できるんだろうな。


くらくらします。





posted by 橋本翔太 at 12:21 | ★ 翔太のおススメ・本・映画・CD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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